不登校だった私と母~当時と現在~

【読みもの】

(Yさん:女性)

私は小学生の頃、すぐにお腹がいたくなる子でした。何かとお腹がいたくて、気持ちが悪くなって戻したり。
何度も保健室に来るわたしに、胃腸が弱いのかもねと保健室の先生は言いました。

でも、早退して家に帰ると、いつもとたんに元気になるのです。せっかく学校まで迎えに来たのに家に帰ると何もなかったようにしている私に、母はうんざりという顔をしていました。
嘘をついているのではと何度も聞かれ、子どもながらに傷付いて、母への反感が湧き上がってきたのを覚えています。(大人になったら今思えば、母の気持ちも理解できるのですが。)

でも実は、自分でもはっきりとしたことは分からなかったんです。本当にお腹が痛かったと思うのに、あまりにも嘘のように治るから、自分は学校を休みたくて嘘をついてしまっているのかなとも思いました。何が起きているのか、自分でも自分が分からない、というような感じです。

そんな感じで学校を休みがちになり、学校に行かないなんてありえないという考えの母とは関係が悪くなり…といった小学校時代を過ごしました。

でも当時は今のように不登校についての理解は世間でまだまだ無くて、何が起きているのか私も母も学校ですら、分かっていなかったのではないかと思います。

大人になって振り返ると、あれは学校の人間関係や管理教育に馴染んでいけなかった私の体からのSOSであり、今の時代に生まれていたらもう少し私も母も選択肢があったのではないかと思っています。

当時は早めの反抗期も入り混じって母を憎んでいましたが、今振り返ると、それが孤独な育児をしていた母をさらに追い詰めていたのだと思います。今振り返っても小学生の私にはどうすることもできなかったですし、もし私があの時代を母として生きていても、どうすることもできなかったような気がします。母を責める気持ちは今では少しもありません。

だからこそ昨今の不登校支援が子どもだけでなく親御さんにもベクトルが向いているのは望ましいことだと思いますし、もっとそれが深く広いものになればと日々願うばかりです。そして、そんな時代であっても、どうすることもできないことはたくさんあるのだと思います。

母との関係は、私が独り立ちして家を離れ、距離を取って関われるようになったことで徐々に修復していきました。

そしてやがて私は結婚し、第一子となる息子を出産した時、一番に頭に浮かんだのは笑顔もなく懸命に必死に私を育ててくれた母の顔でした。私が母のことを思い出す時、いつも笑顔が浮かぶことはありませんでした。


でも息子を産んで、そして育児をしながら、私は初めてそのことに心から感謝したんです。

自分が笑顔になれること、楽になれることよりも、私を優先して生きてくれてありがとう、そう思いました。(もちろんそうさせたのは私なのですが。)

私も我が子に同じことができるかしら、いやとてもできないんじゃないかなぁと思いました。
そのことを、私は母に何度も伝え、感謝しました。母はもう忘れたと言っていましたが、そんなことはないのだと思います。

世の中には、今日も笑顔で育児できない人がたくさんいると思います。でも私のように、そのことにいつか感謝する子どももいます。それは私のように、何十年も先になってしまうかもしれないけれど。

こんな私の話もまた、無数にある家庭事情のうちの一つの例に過ぎないのですが、今日育児を頑張ってらっしゃる誰かの気持ちを楽にするかもしれないと思って書きました。





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