たぬき通信3 他人の気持ちを推し量る人って

【読みもの】

ちょうど先週、近所を散歩をしていたら、「こんにちは~」と挨拶してくれた人がいました。

小さな小さな赤ちゃんを抱えたママでした。

赤ちゃんはとってもかわいい女の子で、生後二か月なんだと教えてくれました。

とても気さくで明るいママさんで、話していたら偶然にもすごくご近所さんであることが分かったので、お名前を聞くとカタカナの長い名字でした。

パパが外国の方なのかな?と思っていると、夫がカナダ人なのと教えてくれました。

私はそれを聞いて何気なく「そっかじゃあハーフちゃんなんだね」と赤ちゃんの顔を見たのですが、「この子は養子だから顔は似ていないんだけどね~」とのこと。

たしかによく見るとアジア系の顔立ちだったので、「じゃあ日本っぽいお顔になるのかな」と言うと、「たぶんね~」と。

それから少し立ち話をして、またね~と解散したのですが、家に帰ってから、ふとさっきのやり取りを思い出しました。

あの時のたぬきのとらえ方には、とてもたくさんの「バイアス」がかかっていたように思います。バイアスというのは、いわば「決めつけ」のようなものです。

日本人のパートナーはだいたい日本人だろう、外国人と日本人の子どもはハーフだろう、赤ちゃんを抱いているママがいたら出産後だろう、日本にいる養子は日本人だろう、

そんな無意識の決めつけがあるからこそ、立ち話の間に何度も「あ、そうなんだ!」と気付いたり驚いたりするタイミングがあったんですよね。これはまったく悪意のないことなんだけれども、相手によっては嫌な気持ちになるかもしれない。気を付けたいな、と思いました。

そして同時に、あのママさんはそういうことをすべて分かった上で話している感じがしてすごく素敵だなと思いました。きっとこれまでもこの先も何度も同じようなことを他人に聞かれたり説明する機会があるだろうけれど、それをマイナスとは感じていないように見えました。「疑問に思って当然よね」というふうに、こちらが聞く前に先回りして説明してくれるのです。

きっと彼女からしたら、「私や夫が何人であろうと、どこからやってきたどこの国の赤ちゃんだろうといいじゃない?気になるなら何でも聞いて~」という感じなんですよね。


はたから見ると明るくて細かいことを気にしない人、のように見えますが、ひょっとしたらそうやって相手の気持ちを推し量る優しさは、それまでの経験や葛藤から生まれたものなんじゃないかと思うのです。


たぬきのこれまでの人生の中で思っていることなのですが、相手の気持ちを推し量れる思いやりのある人はみな、自分の気持ちを誰かに推し量ってほしかった過去があると思います。

無神経さが人を傷付ける痛みを知っているからこそ、自分がしてほしかったことを他人にしよう、という人が多い気がするのです。

なんとなくですが、あのママさんもそんな人なのではないかなと思います。



ほがらかに明るくさっぱりと他人と接する人ほど、繊細さや葛藤を乗り越えてきているのかもしれない。

そんなことをあらためて考えさせられる出来事でした。

そしてそういう感覚ってきっと、自分がなんらかのマイノリティになる体験と結びついているのだと思います。だからこそマイノリティである体験は、少なくとも人生の思いやりにおいてプラスになるとたぬきは考えています。

(こんなことがあったので、今週の「あれなに図書館」は「国籍」についてにしてみました。ぜひ一緒に考えてみましょう~)

それではまた次回。

たぬき

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